全ては無常なり

 今日は朝から菩提寺にて秋彼岸法要を営み、墓参に出かけた。
前にこのブログにも墓参において色々人生に思いを寄せることがあることを書いたが、今日は本当にすごいことが連続で起きた。
 まず、墓地のところどころ、墓の合間にまでひょろ長い花が色づき咲いていた。オレンジや、バイオレットの花が異常と思えるくらいに咲きまくっていた。足下に花が咲いているという状況ではなく自分の目線まで花が空に向かって突き上がっているのである。まわりは山なのでどこかから種子が飛んできたのであろうか。しかし、今まで何年も通ったがこんな光景は一度もみたことがなかった。花がさけば、その蜜をもとめて蜂が来る。でかい蜂やらが飛び交っていた。いつものように墓を掃除していると私の首横をでかい蜂が飛びすぎていく。自分は子供の時から蜂には恐怖心が人一倍あったのでぴたりと動かず過ぎ行くのを待った。そのうち後ろのほうで「バチジジッ!」というような機械的な音が聞こえたのでとっさに振り向くと、墓地の金網のところにトンボが一瞬くぐり抜けるような形になっていたかと思うと、方向を翻し、山の方へととんでいった。トンボの頭には黄色い大きな「何か」がついていた。
 もう、さっきまで花のまわりを飛んでいたおおきな蜂はいなくなっていた。私は生命の縮図を見た。生命とは命の交換でしかないのだろうか。以前私はこのブログでも生かされていることに感謝したいと書いたことがある。それは別の見方をすれば私がこの生を生きるのに多くの生命が交換されることである。墓地のまわりを何もしらずに笑いながら走り回る無邪気な子供。お父さんとお母さんに連れられて、おばあちゃんに「ばいばい」をしているあのかわいらしい子供も育っていくには多くの生命が交換されるのである。全ての事物は生成消滅する。いっさいは流転し全ては空である。さっきまで飛んでいた蜂ももういない。そして、いつかは私もいなくなるだろう。
 霊園の送迎バスを待つ間にも美しい女子大生が私の前を通り過ぎていった。本当に美しいと思った。その彼女も今日の美貌は失われる。一切は流転していくからである。

 そしていつかは人間もいなくなり、戦争も殺戮もなくなるだろう。なぜなら宇宙は人間が中心ではないのだから。今日墓地に咲いていた花のように、人間にかまう事なく別の生命であふれるだろう。一切の事物は生成消滅して流転していくからである。

 そしていつかは地球も月のように静かな世界になる時がくるのかもしれない。その時はもう過剰な生命による交換も行われないのだろう。しかしまたどこかで地球のような星が生まれていくのかもしれない。一切の事物は生成消滅して流転していくからである。
 
 普通の人はより良く、生き甲斐のある人生を求めようとするのが普通だろうと思う。私は「死」から人生を見つめている。人間は生きている過程よりも死ぬ一瞬こそが大切だと思っている。死ぬ時に後悔のないよう、自然にたいして、宇宙に対して和解して感謝しながら帰元したいものである。逆にいえばその一瞬の為に悔いのない生き方をするという事でもある。それは人生において成功をおさめるということではない。なぜなら一切は流転していくのだから。なにごとにもこだわらず、執着を持たず無関心で動じない心でいたいものである。
 
 
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  by snakestone | 2006-09-17 23:57 | 私事 | Comments(0)

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