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「おたく」は太陽の帝国の忘れ形見か?

「映画式まんが家入門」 大塚英志著 アスキー新書
最近読んだ面白かった本の紹介。このブログでも前に書いたけど、僕は子供の頃まんが家になりたくて、それなりに研究し、講談社に持ちこんだ経緯があり、興味があって本書を手にした。別に今だにまんが家になりたいわけではない。
 日本のまんがやアニメーションはまるでエイゼンシュタインのようである..というところから始まる本書はあくまで大塚氏が手塚治虫以前のまんがや、アニメの歴史やそれにまつわる資料を綿密に分析し、まんがやアニメを超えた所謂「おたく」文化なるものが、実は15年戦争下のファシズムに起源があるのではないかという仮説を展開するのが前半を占め、とても説得力のある内容に目から鱗であった。
 大塚氏もおそらく自分と同世代の人なのだと思うが、本書にあるように、自分も今日のまんがの映画的手法を編み出したのは手塚治虫であると思っていたからである。それはもちろん大部分において間違いない事なのだが、実は真の意味でエポックだったのは大東亜戦争終戦直前に焦土の中で公開された松竹動画研究所による「桃太郎 海の神兵」だというのである。
 当時内務省の思想統制の果てまんがは規制され、出版が困難になっていくが、逆に海軍省の庇護下にあってアニメーションはその技術を飛躍的に向上させていった。それは娯楽というより、工業技術的、または科学的な知識を視覚化するのにアニメーションがいかに効果的かということが判明していたからである。そして当時の架空の物語的なものは統制され、事実に基づいた探検的な物語や兵器や科学技術などを広く啓蒙する文化映画化がなされていったというのである。当時手塚治虫少年もその「桃太郎 海の神兵」を鑑賞しており、まるで記録映画のようであったと日記に書いている。事実そのアニメは海軍空挺部隊がインドネシアで展開した侵攻作戦を再現したものであり、キャラクターはディズニー的な動物のキャラクターに置き換えられてはいるが、演出はロシアアヴァンギャルドの映画手法をとっているという。そして大塚氏は次のように要約する。
 『「桃太郎 海の神兵」に見られるディズニーとエイゼンシュタインの奇妙な野合とでもいうべき現象を経由しなければ、「映画になろうとしたまんが」の歴史は戦後に駒を進めることができないのである。』
 模型趣味を嗜む自分として、またなるほどと思った事は、本書ではさわりていどでしか触れられていないが、高荷義之等のプラモデルの箱絵の起源が藤田嗣治の戦争画に行きつき、模型は戦時下航空思想の啓蒙を理由に進化し・・云々というあたりである。
 また自分が本書を読んでとても感慨深く思うのは手塚治虫が当時の文化映画的なメカニックなものをあくまで記号として展開していったのに反して、虫プロの手塚の下で鉄腕アトムを演出した富野氏がガンダムにおいてメカニックをテクニカル的に、科学技術的に先祖帰りさせてしまったということである。
 そして僕も本書に同感なのだが、最近これらのおたく文化が世界に躍進しているからというだけでそれに便乗する政策はどんなものだろうかと思う。実は一番困惑しているのは、アニメ作家やまんが家などの当事者なのではないのだろうか?
 そしてこれはあくまで僕個人の意見だが、模型というものが美術大学のようなところで講義されるような事にはなって欲しくないと思う。模型はあくまで趣味として万人が楽しく遊べればそれでいいのではないのだろうか。とはいうもののいつも自分が模型の事を話すと皆が難解そうに眉間に皺をよせている顔になるのが事実なのだが(爆)。


 

  by snakestone | 2010-08-12 05:44 | 読書 | Comments(0)

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